11/18

怖くなってきた。受験の熱に浮かされて、何でもかんでもできるようになってないか?  そこに楽しさはあるのかというと全然ないと言えなくもない。分からない。

 

まず、楽しいとか面白いとかが動機となる行動を、私は取っていいのかという問題。そんなことしてていいのか?  こんなことを問題にする私が狂っているのか?  また「楽しい」「面白い」が何なのか分からなくなった。自分は今楽しんでいるのか。分からない。作品をつくるのは楽しいか?  分からない。今音楽をつくっているけれど、作品じゃない気がする。面白い音楽をつくっても作品にならない、と思う。何かコンセプトがないとダメな気がする。

 

勉強をしている。これまでやってこなかった勉強を。どんどん出来るようになっていくから安心する。だからやる。でもこれって。この先って。

 

受験が面白くないだけなのだろうか。大学に行ったら楽しいのだろうか。今までと同じように作品をつくっていくのに?  やってみないことはない。大学はいつだってやめられるんだ。人生もいつだってやめられる。きっと。だからやってみないこともない。

 

自分のつくる作品が面白くないのかもしれない。作品のプレゼン3分間。何を言えばいいのか。「特にありません」と言ったら怒られるだろうか。というか作品を提出する態度ってなんなんだ。誰に対して伝えたいという衝動がない。違う。衝動を制限している。だって。あぶないから。ばかだから。でも、ばかが一番実験しているのかもしれない。試しているのかもしれない。

 

衝動はある。それをやることにする。

10/7

喜びがない。病院に行った方がいいのだろうか。予備校に提出する作品ができない。

 

父が、母の誕生日を忘れ、結婚記念日を忘れた。兄は家庭内のあらゆることを人に押し付け、彼女の家に泊まっている。私は性格がねじ曲がり、眠り続ける。

 

 

人生に火をつけた。湿っていて燃えにくかった。

10/6

離人症の症状が頻発している。あらゆるものを遠くに感じて、音がこもって聞こえる。逆に爆音の幻聴が聞こえることもある。三半規管が狂って受け身の取れないまま倒れてしまう。今日も二回くらいそうなった。

原因は分からない。ちゃんと寝てるし、誰かに何かされた訳でもないし、ご飯もいくらか食べてる。風邪かなぁ。

 

何かあったら「死にたい」と言うようになってから何年か経ち、嘘だから言うのを止めようと思って代わりに「浮きたい」とか「飛びたい」とか言ってたけど、結局「疲れた」と言うのがいいのかもしれないと思った。

 

自分が今何を考えているか、何をしたいか、それを歪ませずに言葉にするのは難しい。今までこのブログでもやってた「精神分析」ごっこは(当時は本気だっただろうに)、フィルターを通した過程で大きく歪み、わざわざ気落ちした自分像を作り出していたとも言える気がする。

とりあえず疲れていない時に「こんなことをしてみたい」みたいな最終的な目標を思い浮かべることは可能らしい。今日は可能だった。完成形を先に考える。

 

批評もそうなのかなとか漠然と思う。筒井康隆文学部唯野教授』を読み終え、ほんの数ページしかない分量だが文学批評の講義を受けた。ある作品を何となく面白かったなぁと思い、なぜそのように感じたのかを考えるのが批評の全うな道順の一つなのかなとか思ったり。

 

 

人とのコミュニケーションが楽しくない。楽しくありたい。とりあえず『コミュニケーションの哲学』を買った。

 

作品をつくっている。本を読んだり映画を見たりしている。勉強は全然してない。

 

すごく静かだった。

面白さに価値を見出だせない。友人にコミュニケーションを拒絶された。

完全な無音。日曜までに作品をつくらないといけない。

ノイズが聞こえる。

寒い日々が続く。しゃべらなくなっていく。思考が逃げていく。

音がなかった。

寝る前に言い訳を作らねば寝れない。瞼を閉じる。

世界がまた消える。

10/3

電車が発進する。

私はまた電車に乗っている。

 

ディズニーランドでは、カリブの海賊の発進する瞬間が好き。手の届く先に、さらさらした地面や水があるのだ。私は船に守られている。

Capsule の中に。

 

私が赤ちゃんの頃、父親は我が子の小さな身体の周りに、隙間なく毛布を敷き詰めた。まるで葬式の時に花を隙間なく敷き詰めるように。私はそれによって安心し、すぐに寝る。この性格は今も変わらない。

 

飛び込み自殺はとてもこわい。とて、も。電車に飛び込み、海に飛び込み。私はこわい。まったく違う感じで。同じ「飛び込み」なのに、どうしてこんなに違うのだろう?  私は飛び込み、電車は走り、波がゆれる。私は死ぬのだ。

 

電車に飛び込んでも、すぐに気絶せずに激痛を経験するのだと聞いたことがある。激痛を伴う私の身体の分割を。比喩ではなくて、私は電車に分割されるのだ。私は私を見る。もう私ではない私を。

こんなとき、身体を私と見なすかどうかなんて。そんな下らないこと。私は私が嫌いになったとき、私の身体を痛め付けることで私を痛め付けるように考える。だからなんだと言うのだ。

※〈あるときの私にとって下らないことは、またあるときの私にとって最も重要なことになり得るし、逆もそう〉

 

私が死のうが、誰もさほど期待していないし、期待されてもいらいらする。

感傷的な死に方などいくらでもできる。現に昔はそういう物語を準備するのが大好きだった。でも今は違う。死に向かおうとするのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 

「……をこわいと感じた」とは本当? その感覚を形容した言葉は。詭弁じゃなくて? 詭弁だとすれば、それは疲れること。疲れることはできない。

 

ノスタルジーとは愚かだな。そうだろうか? 全然そうは思わない。もうなんでもいい。

 

私は朝、自分の布団の中で目覚める。寝室から出るとそこは屋上で、床がぴっちり水に浸っている。太陽光が反射する。水が冷たい。私が歩くと波紋があちらへ行く。そんな夢を見た。

 

美大予備校の先生に、交際している人はいるかなど意味不明なことを尋ねられたので考える。私はそんな人いないし、恥ずかしいから嫌だ。恥ずかしいのは本当に嫌なこと。

 

舟が出る。

私はまた舟に揺られている。

また眠くなってしまう。

9/7

文化祭に出品するための作品ができない。構想からできない。泣きたい。眠い。寝る。明日早く起きて椹木野衣『反アート入門』読もう。

9/6

放課後、文芸部に行った。久しぶりに顔を出す。私は少し元気だったので、後輩と楽しく喋れた。

文化祭が近いので、部誌は誤字脱字確認の段階にあったし、オリジナルTシャツを着ていたし、出し物の演劇の準備はしっかり為されていた。部長がしっかりした人なので。

私は貰った部誌(仮)にデザイン面で少し提案して、見せてもらった演劇にアドバイスして(アドバイスという言葉は上から目線だけど、実際に観客の視点から見ているので第三者目線ではある)終わり。楽しかった。

 

帰ってご飯を食べて、眠くて仕方がなかったので寝た。0:30ごろに起きて、勉強も読書も絵も出来なかったなぁと思った。Twitterを見ている時間を減らそう。あくまでTwitterには価値があると思うので、全く見ないというのもいささか気が引ける。

 

とりあえず日中眠くならないためにも、早く寝なきゃ。でも絵は3日描かないと忘れるらしい。

 

アッパーとダウナーの話。ある人からすれば、元気がなくなった時に元気の出るような処置をするのは当たり前なのかもしれない。私は今それを実践しているのだと思う。

作品製作に際して精神状態がぐちゃぐちゃになったりする。生活が回らなくなったり、死を思ったり。優先順位の問題。妥協の問題。

 

若干の焦りがある。つらさが戻ってくる。寝るしかなかった。寝て起きて、好きな音楽を聴けば治る。治るってなんなんだろう。学校に行きたくない。考えないことが重要。やるしかない。寝よう。

9/5

学校。休み時間に友人が「普通に考えて、近大か先端かで迷ってるなら先端でしょ」と言った。そう言われて、それもそうだなと思った。また予備校に行くことにした。

 

帰宅したはいいけど、帰宅後すぐに勉強することができない。なんか嫌だった。眠かったし。音楽を聴いても乗らなくて、怖い話読んだら切り替えられるかなとか思って巨頭オを読んだら怖すぎた。そして寝た。

 

3時間くらいして起きて、ご飯を食べてから少しだけ勉強する。しかし絵でやりたいことがあったのでそれをやることにした。二次元美少女と仏像を接続させるのだ。Twitterにあげました。結果はあまりよくありませんでした。2:30になっちゃいました。つらい。

 

勉強がまわってない。休み時間に目一杯勉強しなきゃ。作品製作と絵の練習は時間が物凄く掛かる。でもやんなきゃならない。明日は文化祭の展示詳細を聞いてくる。あと12日しかない。やばい。

 

音楽に関して。

麻薬に例えて「アッパー」と「ダウナー」と呼んでいる。「アッパー」とは高揚する曲のことで、「ダウナー」は鎮める曲のこと。アッパーは基本的にやる気を促進してくれるが、オンオフの切り替えにはダウナーが有効っぽい。帰宅後はダウナーがよい。

そしてもっとdigんないと、いい加減手持ちの曲が聴き飽きはじめてる。TSUTAYAへ参る。

 

勉強しなきゃ。睡眠時間が足りない。こんなんじゃ長続きしない。