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起床しても強迫観念がすごくて、現実逃避のためスマホをいじっていた。

友達の作品展示に行かなきゃならない。私はご飯も食べずに家を出る。

 

行ってみたけど、その友達の作品、すごい。音声作品なのだが、秒読みとノイズ(呼吸音や鼓動などもあった)を組み合わせた重圧を醸し出す作品だった。その部屋はカーテンの外された窓が二つあって光が差し込んでいた。誰もいなかった。その友達さえいなかった。一時間くらいそこにいた。ここで私が死んでいたらもっと面白い作品になるだろうと思った。YouTubeの音声を流したり、自分の書いた文章をアプリで読ませて動画を撮っていた。だれもいないんだもん。

 

違う部屋に行くと友達含め、15人くらいの人たちが作品講評をしていた。私はここに混ざって、思い切って語った。完全な部外者として講評にいきなり出て、作品を分析していったので不審者っぽかったけど楽しかった。最近読んだキリスト教に関する本で、聖書を読んだ時に、「こうせねばならない」と思うのではなく、世界の仕組みを理解するものとして読むと良い、という文章があった。とても参考になる。たくさんの価値を肯定しやすくなる。人の話を曲解せず高い純度の理解をすることが出来る。私はそう思った。だから今日の講評ではたくさんの事を語れたし、それらは常に現代文でやったものと関連づけて主張を成立させた。妥当な意見だったはずだ。

 

友達は、こんなことになるとは思わなかったという。それが君の良さだとも言ってくれた。その後一緒にご飯を食べに行って、ずっと話していた。帰った頃には22時を過ぎていたと思う。

 

でもネットを少し見渡せば分かるが、私は全く不勉強である。私も数日間だけちょっと本を読んでみただけだ。ここは忘れないでおきたい。

 

楽しかった。何の解決にもなってない気もした。明日は東京写真美術館に行く。早く寝て、起きたら本を読んだり映画を観たり勉強をしたり構想を考えたりしよう。誰かに「ねぇねぇ」と言いたい。疲れるのは嫌。悩むのも嫌。嫌な気持ちになりたくない。甘えられる人を探そう。楽しい気持ちでいたい。当たり前だ。でも私はその「楽しさ」の定義が分からないんだった。振り出しに戻る。

 

12:45。たくさん水を飲んで寝ます。

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