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起きて東京都写真美術館に行く。全部のフロアを見られるチケットと、トークイベントのチケットを買う。

 

孤独死した人の部屋のソファを撮った写真が印象的だった。ソファってゆったり座るものだし、何かをしながらの利用がほとんどだし、洗えないし、大きいし、不思議な存在だなーとは昔から思っていた。何というか、「人柄が出る」というか、その人にフィットしていくのかなー。そんな風に思ってたから、孤独死した人がそのソファに強く表れた気がした。色は緑だった。

 

ご飯を食べてトークイベントを聞く。アラーキーの展示があるのでそのやつ。タルコフスキの名前が出たときはおおっ、てなった。アラーキーノスタルジアの夜を見て、おんなじ名前の写真集を出したか何か。あと写真を撮るまでの時間についても話してた。ジャック・デリダの「我々は自らを死に負っている」という言葉を引用してた。シャッターをおろすまでの時間は死をおもう時間(死への時間)。シャッターをおろした瞬間に我々は死を経験する。たった一つの世界が終わる。そんなことを言っていた。ちゃんとした理解が得られない。どゆことですかこれ。

質問時間に質問した。え?という感じのリアクションだったので失敗したと思った。友人に「言いたいことは分かるけど、さっき最後に言った、結局の質問を最初に言った方がいいよ」と言われた。なるほどなと思った。話のまとめ方が失敗だったっぽい。

 

そのあと世界報道写真展を観た。友人が「構図がきっちりしてて変なの、と思った」と言っていた。ぼくはあんまり気にしなかった。毎度見て、資本主義上位の自分の日常に戻っていく気力が無くなる。あと熊本の被災地の動画があった。いや、なんか3.11の「がんばろう 日本」ってなんなんだろうなって思った。「がんばろう」も「日本」も意味分かんない。誰が誰に言ってんのかもよく分かんない。復興は進まないし冬が来て雪が積もる。

 

で、アラーキーの写真を見た。「妻が逝って、私は、空ばかり写していた」という文章が良い。因果関係もなく、ただ事実を並べただけ。そこには強い因果関係が働いているはずなのに。

 

六時半に帰って、お風呂に入ったりご飯を食べたり予備校の準備をしたりしてたらもう日が変わる。明日は早い。もう寝なければならない。

 

多分明日は予備校に行くんだろう。勉強するんだろう。でも今日で死んだりしないか。もういい加減、生きる以外の事がしたい。借りてきた映画は、多分時間が無くて見られないと思う。借りている本も、読み切れないと思う。買ってきた本は埃をかぶっている。美大にも普通の大学にも行きたくない。友人も要らない。身体も精神も意識も要らない。どうせこの気分も刹那的なもので、でまたいつかこういう気分になる。親に怒られる。勉強をする。Twitterのツイートのひとつひとつ。窓の外。昔遊んだ公園。眠り。人の言葉。演劇。光の反射。パソコンの前の私。

 

寝よう。

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