8/7

朝起きて美大予備校の講習へ。10時間近くやってたのか。

 

課題文みたいなのを20分ごとに出されてひたすら作品をつくる。講評して終わり。7人くらいの少人数だった。

講評中いろいろメモして勉強してた。自分の作品については、生徒からは「概念的」「言われれば面白い」「自殺にフィットしてる」など。先生からは好評だった気がする。分かりにくいんだなと思った。

つくったものを言葉にしてみる。言葉にしても通じないかもしれないけど。

1.洗面所に小窓があったので、模造紙で遮光したもの

2.紙に文章を横に一文書いて、はさみで切り取って、三回ねじってメビウスの輪みたいにしたもの

3.ゴミ箱に入っていた紙を拾って、小さなメモ用紙くらいの大きさに切って、ぐちゃぐちゃにしてポケットに入れていたものを、ぽいっと出す行為(行為が作品)

4.喉から赤い茎のようなものが生えてる絵

5.ベン図みたいな形にセロハンテープをぺたっとつけてあるもの。その横にクレヨンで青い線が引いてある。

 6.綱のようなものと、二本の直線。そして緑のクレヨンの変な線。

7.スマホに小さい紙が立てられているもの。紙は長方形で、二次キャラの目が二つと眉が一本ある。

8.B5の紙の両面に(床の段差を写したものと、掲示板のボコボコを写したもの)フロッタージュをしたものを、紙の形を崩して自立させたもの

9.フロッタージュ(板の表面に粘土が固まったものを写した)

10.6階が飛び降りれそうだったので、その階の階段に大きな模造紙を貼って、少しやぶったもの

11.デカルコマニー(水道に残っている水滴を紙で吸ったもの)

 

 

なんか、このまま行ったら自殺が現実化する気がして怖い。何もかもやめて敷かれたレールを進んでいたい。これやめた方がいい気がする。でも明日も行くんだ。

 

今から帰ってご飯を食べて、雨に濡れた靴に新聞紙を入れて、明日の用意をして、作品をつくったり素材を考えたりしつつ、映画を観て、日が変わる頃に寝よう。

 

学科の勉強をちゃんとやれと言われた。センター9割とか取ればいいと思うと言われた。最近はセンターを軽視することもないそうだ。がんばって勉強しよう。

 

なにが「しよう」なんだろう。「しよう」ってもう予定以外の意味を含まないじゃないか。それって不自然だ。何かをしたいという欲求に対応した「しよう」が本来の「しよう」なのに。純粋な予定での「しよう」って……。

 

死にたくない。全く。いい感じのものを得られるのなら。しかもその「いい感じのもの」はこの世界にあるはずだし、なかったとしても生きていればつくりだせる。でも時間がたてば、積まれていく死の気持ちがある。

 

こんな風に生まれたくなかったしこんな風に生きたくない。死にたいと思うのは甘えだと思う。

 

今、正直に自分の考えを表すのはやめた方がいい気がする。今の自分の考えは自分を破滅させるベクトルに向いている。どうにか逆に行かなきゃならない。

 

冷静になれば、自殺未遂をしたあとに変わる人なんていくらでもいるだろう。自殺を実行に移す気なんてさらさらないし、だから自殺未遂もしないと思うけど、わたしは変わりたいのだ。そうだ。高校生で「死にたい死にたい」と言っている人なんて山ほどいる。今だけだとも考えられる。そう考えるのが自然かどうかは別として。

それに、十分に大人になってなお「死にたい」と思っても、その時どうするか(どうしたいか←○○したいと思う状況や圧や流れ、他者による働きかけがどのようなものなのか、も含めて)が重要なのであり、それは昔も今も未来も変わらない。

 

お腹減った。頭がぼーっとする。今やらねばならないことがある。予定がある。生きていれば実験ができる。あらゆるものは実験となりうる。自分がどんなに価値を認めなくとも、あるいは逆だろうと。やって知るのだ。やって何かを得るのだ。やって変わるのだ。

 

文章がくさい。でも論理的に真だと思う。よく検証してないけど。少なくとも生きていないと行為ができない。そして行為の選択基準を失ったとき、我々は実験としてあらゆる行為を行ないうる。そういうことだ。

 

だからつらいと言っても安易に対応した行為を選択しない。だってそれは死だ。だから安易に自分の考えを表すのはやめた方がいいと思う。ってこと。

 

 感想なし。終わり。

広告を非表示にする