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本日もまた、よく分からない曖昧な時空として通り過ぎていった。色や形や音、意味や動き、それらは判然することもなくすれ違う。

 

今自分が悩みを抱えているとしよう。悩みを解決せんと、やっきになるかもしれない。それで上手くいくなら申し分はない。しかし上手くいかないのなら、違う策に転じてみても良い。それがどんなに下らなく間違った策に見えようと、どんなに空しい策に見えようと。なぜなら下らないとか間違っているとか空しいとか色々と判断するその判断は、全く信用ならないからである。

 

髪を切った。食事をした。部屋をうろうろした。窓を開けたり閉めたりした。家族の足音に怯えていた。コクトーの本をひたすら音読した。

 

コクトーの本と言っても、この間の続きに過ぎない。全然読めない。けど今日は40頁くらい読んだと思う。一時間くらいで、途切れ途切れに読んだ。後半は意識が集中してすらすら読めた。読書の方法として、多くの人が、架空の声を想像しているのだそうだ。ある女の台詞はこんな声、地の文はこんな声、といったイメージがあるという。私にはない。だからあえて音読してみた。気持ちを込めて読んだ訳ではないが、スムーズに読めることに感動した。面白い本だと思った。

 

佐藤亜紀曰く、人間の知覚の発達はそれぞれなので、音楽が分からないとか小説が分からないとかでも何ら問題はないそうだ。これは私の小説に対する認識の仕方とて例外ではないように思われる。

 

美大予備校の夏期講習をキャンセルしようかどうか悩んでいる。早めに判断すべきだ。しかしキャンセルするということは、美大受験をしないということに繋がっているとも思える。いや、夏期講習だけキャンセルして、夏は好きなように勉強したり遊んだりしようかな。大学の判断はひとまず保留にして。

 

数学とか英語とかをやりたい。数学の教材はこれhttp://www.gakushuin.ac.jp/~881791/mathbook/index.html で、英語の教材はこれ https://wired.jp/ の原文で。やってみようと思った。やるかは分からない。明日やるかもしれない。面倒でやらないかもしれない。

 

今まで、人生に問題を提起して解決することを目標としていた。しかし今や、問題の外側へ行く。問題をあえて認識しない。というか、問題を問題と認識するか否かという問題を私は抱えているので、問題を認識すること自体不可能なことだとも言える。

 

夏休みが死にそうだ。学校に行きたくない。近く、センター模試がある。いろいろ心配してしまう。しかしそれら全てを差し置いてくつろぐのもありかもしれない。私の家族は愚かだ。他の人がどんな風に趣味にいそしむのかを知らない。今の私くらい切羽詰まったことがなくとも(受験とか)、もう少しゆったりしている人も多いのではないかと思った。

 

今日牛乳を飲んでいない。牛乳を飲まないと、背は伸びない。

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