8/30

よく分からない時間に起きて、横浜トリエンナーレには行かず終いだった。もう夜だった。知覚したくない現象(全ての知覚、五感にイライラしてしまう現象)が再び起こったので「またか」という感覚にイライラしていました。

 

ご飯をあまり食べなかったと思う。ロマン・ポランスキー『テス』を1時間くらい観てつまらなすぎて止めた。それでもう深夜だったので家族みんなが寝たころに再度映画を観だした。タルコフスキ『ノスタルジア』。集中切れるので何回も巻き戻して観て、観終わるまで6時間掛かった。セリフ、人物、背景のそれぞれに別々の良さがある。一瞬の映像が頻発するのでぼーっとしてるのNGです(これのおかげで巻き戻しまくりました)。横スクロールが多いと感じました。人が物っぽく扱われる(風景の一部でしかない)遠景の映像も特徴的です。これらはまさに演劇なのでは。一つの広い舞台上で人々がうろうろ、あっちへ行ったりこっちへ行ったりする様がよく似ている。あるいは計画的な照明の動き。これはキェシロフスキにも言えることなのですが、現実のシーンは画面右に光を左に影を置き、精神世界のシーンは反転させて画面右に影を左に光を置く、なんてこと普通にやります。こういうところが演劇チックだなと思いました。明暗に関して言えば、モノクロとカラーの使い分けもしっかりなされていました。まぁモノクロとカラーの使い分けはよくやるか。私はその点『メメント』が印象的です。

 

さて、徹夜したので思いきってもう一本観ようってなりキェシロフスキ『デカローグ3  あるクリスマス・イヴに関する物語』を観ました。途中まではぶっちゃけ面白くなかった、けど「実は今夜あなたに言ったことは全部嘘なの」というシーンからテンション上がりました(大分後半だ)。クリスマスイブの話だから聖に関する何かかな?と予想してたけど、どちらかというと「クリスマスイブなんだから男女で楽しく過ごそうよ」という願いに関する話だった。まぁそんな動機によって生まれた夜こそ「奇跡=聖」ということなんだろうけれども。

 

TSUTAYAに返却をして、ペットショップに行って犬や猫を見る。ものすごい動き回るやつ、かごの後ろの見えないところで寝てるやつの二種類だった。臭いが凄かった。動物そのものの臭いかと思ってたけど、多分薬品なのかな。そんな気がします。触れないのでつまらなくなってすぐ店を出る。

 

コンビニに入ってタバコを買う。公園で四本吸って何も変わらないなと思った。天気がすごく良かったので電線の写真を何枚か撮った。家に帰って寝て起きて19時ごろでもうこの時点でよく分からなくなっていた。ネットで無限にどうでもいい時間を過ごしてイライラして、部屋が狭いと感じて机を捨てたくなって、自分がイライラしてるからって変な原因つくるなと自分に言って、何となく『荘子』を読んで多様性と形相主義だなぁと思って、今です。

 

この間「勘で判断すればいい」とか言ってたけど、それで判断できるのは「いずれの行動もそれぞれに価値がある」ということだ。

という断言は怪しい。そもそも勘の定義が曖昧すぎる。そして、価値という謎のものをカバーするための「勘」じゃなかったのか。価値判断ができないから(あらゆる行為が価値を持っているから)勘で行こうという話じゃなかったのか。

考えることができなくなっている。それは嘘かもしれない。考える材料がないだけだ。それも嘘。考える材料は常にあるけれども、ようするに疲れて、生活にこだわりがなくなって、どうでもよくなっているのだと思う。文字通りのこだわり、枠組み。こだわりから脱却した方が自由な選択が可能になるはず。枠が正当なものなのか、枠の外にも喜びがあるのではないか。それは選択肢が増えただけで、それは確かにより自由になったのだけれど、選択せねば意味がないという話なのは皆分かる。

 

 

 

ふーむ、ふざけんなで一蹴されるような話かもしれない。ものすごく簡単なことをべらべら、さも自分が実はよく考えてるかのように語る。けど私は考えていない。今私が抱えている問題(それが何なのかは分からない)は案外、難しい問題かもしれないし。

だめだ。とりあえず勉強して本読もう。何も分からない。

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