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電車が発進する。

私はまた電車に乗っている。

 

ディズニーランドでは、カリブの海賊の発進する瞬間が好き。手の届く先に、さらさらした地面や水があるのだ。私は船に守られている。

Capsule の中に。

 

私が赤ちゃんの頃、父親は我が子の小さな身体の周りに、隙間なく毛布を敷き詰めた。まるで葬式の時に花を隙間なく敷き詰めるように。私はそれによって安心し、すぐに寝る。この性格は今も変わらない。

 

飛び込み自殺はとてもこわい。とて、も。電車に飛び込み、海に飛び込み。私はこわい。まったく違う感じで。同じ「飛び込み」なのに、どうしてこんなに違うのだろう?  私は飛び込み、電車は走り、波がゆれる。私は死ぬのだ。

 

電車に飛び込んでも、すぐに気絶せずに激痛を経験するのだと聞いたことがある。激痛を伴う私の身体の分割を。比喩ではなくて、私は電車に分割されるのだ。私は私を見る。もう私ではない私を。

こんなとき、身体を私と見なすかどうかなんて。そんな下らないこと。私は私が嫌いになったとき、私の身体を痛め付けることで私を痛め付けるように考える。だからなんだと言うのだ。

※〈あるときの私にとって下らないことは、またあるときの私にとって最も重要なことになり得るし、逆もそう〉

 

私が死のうが、誰もさほど期待していないし、期待されてもいらいらする。

感傷的な死に方などいくらでもできる。現に昔はそういう物語を準備するのが大好きだった。でも今は違う。死に向かおうとするのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 

「……をこわいと感じた」とは本当? その感覚を形容した言葉は。詭弁じゃなくて? 詭弁だとすれば、それは疲れること。疲れることはできない。

 

ノスタルジーとは愚かだな。そうだろうか? 全然そうは思わない。もうなんでもいい。

 

私は朝、自分の布団の中で目覚める。寝室から出るとそこは屋上で、床がぴっちり水に浸っている。太陽光が反射する。水が冷たい。私が歩くと波紋があちらへ行く。そんな夢を見た。

 

美大予備校の先生に、交際している人はいるかなど意味不明なことを尋ねられたので考える。私はそんな人いないし、恥ずかしいから嫌だ。恥ずかしいのは本当に嫌なこと。

 

舟が出る。

私はまた舟に揺られている。

また眠くなってしまう。

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