12/24,25

食を絶って四日くらい、さっきご飯を食べた。たしかけんちん汁だったと思う。あと多分シュークリームも食べた。食べたかったので。記憶が曖昧だが、今おなかは減っていない。

 

予備校の授業は9時からだというのに、起きたら10時30分で、親に怒られることとか課題が出来ないこととか先生に見放されたりとか色んなことを考えると身体を動かすことが罪であるように思われた。早く石化しよう、そう思ってたら二度寝、三度寝した。ようやく14時ごろに起きた。

起床して髪を梳かし、着替えて化粧をする。ご飯は食べずに。もうお腹も鳴らないな、と思った。歯を磨いて、で、どうしよう。予備校にも行きたくなし、何もしたくない。生きたくないし、自殺のための拳銃を手に入れるルートも知らない。いや考えすぎだ、今僕はパニックになってるんだ、浪人したって良いじゃないか。積極的に浪人しよう。眠い。こんなに寝てるのに。そのくせ背も伸びない。そういえば最近赤子の頃のアルバムを見て「この時に死んでおけば……」と過去の自分あるいは親を呪ったのは下らなすぎる話だろう。そんなことを考えて部屋中歩き回っていたら過呼吸になってきた。どういうわけか予備校に行きたくなったので荷物を持って外へ出た。昼だった。明るかったし寒かった。家から数十メートル歩いただけで帰りたくなったが、ギーギー呼吸を言わせたまま、四足歩行にでもなったかのように首と腰を曲げ、歩幅をなるべく狭めて、歩き続けた。

予備校に来たら先生に「今日は課題やんなくていい。帰るか、何もしないかの二択。刃物は持たないでね」と言われた。異様な様子を見てのことだろう。それから授業があって、僕は何も出来ずにグギャグギャ息をしていた。好きな先生が「さようなら」と言って教室を出た。この教室で自殺しようと思った。はさみ、カッター、千枚通し、どれにするか。僕は千枚通しをチョイス。これをどうすればよいのだろうか。実際僕がここで死んだら、明日この教室は使えなくなるから、恐らく僕の親に請求が来るだろう。千枚通しのお金も。千枚通しをアマゾンで検索するべきだろうか。事件性がないことを証明するために、防犯カメラの前でやった方が良いだろうか。それに、死ぬ気はないのだ。血を流したい。血を流せば病院に行ける。病院に行きたい。今日は出来る気がする。暖房の効いた暖かい部屋で、僕はお腹を出し、皮に千枚通しを当てた。

眠っていた。その場で。あぁ帰って布団で寝ようと思った。教室を出て、エレベータで降りて、駅に向かう。原因不明の焦り、いらいら感、けれども何も考えられなかった。普通に歩いた。過呼吸もなかった。電車の中から窓に映る車内を見ていた。覚えてないけど、何か些細なことを考えていたと思う。

家の近くの駅で降りる。どうしてこんな人生を選択しているのか、純粋に疑問だった。どうして出来そうなことをやらないのか。手に入りそうなものを手に入れようとしないのか。好きな人と一緒にいようとしないのはなぜか。どうして「あなたのことが好きなのですが、先生のために何が出来ますか?」と言わないのか。出来ないことに対して、どうして時間を掛けて出来るようにしようと思わないのか。どうしてパニックになるのか。

 

 問題を粗く見過ぎだろうか。

 

僕は躁鬱病らしいけれど、躁:鬱=1:20くらいの比率で、基本は鬱だ。一抹の躁状態、そして「できるんじゃないか?」という強い希望。けれど二時間もすれば強い絶望に変わる。強い、絶望に。どう希望を持続させるかが鍵になってくる。

現実を楽しもうとすること。目の前の物を好きなのだと自己暗示すること。

例えば、美術作品を見るにしても、どのレベルの事を議論するかの判断をしっかりやんないといけないと思う。映像作品ならば(基本的には)画面に映っている内容について議論する。にもかかわらず「このテレビの形なんですがね……」と言っても仕方がない(言いうるけど)。このように、あるレベルの土俵で楽しむこと。余計なところで絶望しないこと。

 

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